この記事は、犬の病気や治療法を解説するものではありません。私は理学療法士ですが、獣医師ではありません。ここに書くのは、前立腺がんと診断されたわんこ「ぷっく」と向き合った、ひとりの飼い主としての体験記録です。治療方針・食事・介護の方法については、必ずかかりつけの獣医師にご相談ください。
2025年11月30日。12年間、家族として一緒に過ごしてきた相棒の「ぷっく」が、前立腺がんで旅立ちました。
診断を受けたのは、7月のことでした。そこからの数か月は、あっという間でした。できることは全部したい——その一心で、家のなかの環境を整え、最後は自宅に酸素室を用意して、できる限りそばで過ごしました。
私は理学療法士です。人の体のことは仕事として向き合ってきましたが、わんこの病気の前では、ただの一人の飼い主でした。何が正解かわからないまま、調べて、迷って、先生に相談して、家族として決断を重ねた日々でした。
この記事は、その記録です。「こうすれば治る」という話ではありません。できることをしても、別れはやってきました。それでも——いえ、だからこそ、同じようにシニア犬と暮らす方、いま病気に向き合っている方に、伝えたいことがあります。
わんこも、飼い主も、いつ何があるかわからない。だから、元気な”今”を大切にしてほしい。ぷっくが教えてくれた、いちばん大事なことです。
この記事で伝えたいこと
- 12歳で前立腺がんと診断された、わが家のぷっくの記録
- 「手術か、保存療法か」を、家族としてどう決めたか
- 元気だった頃にしていた食事の工夫と、最後の日々の葛藤
- いつ何があるかわからないからこそ、元気な”今”を大切にしてほしいという思い
ぷっくのこと|12年間、一緒に暮らした家族
ぷっくは、2013年生まれのトイプードル。東京のブリーダーさんからお迎えして、それから12年間、ずっと一緒でした。
東京で暮らしていた頃は、近くに思いきり遊べる場所が少なく、車もなかったので、遠くへの旅行もなかなか叶いませんでした。「もっとぷっくと、いろんな場所へ出かけたい」——その思いがふくらんで、ぷっくが7歳のとき、家族で福岡に移住しました。
じつは、このブログ「九州わんこ旅」は、”ぷっくともっと出かけたい”という気持ちから始まっています。移住してからは、九州の自然のなかを、ぷっくと、もう一匹の相棒「のあ」と、たくさん歩きました。ここで紹介してきた犬連れのホテルも、その時間の記録です。
12年というのは、決して短くありません。それでも、いざ別れが近づくと、「まだ全然足りない」と思いました。きっと、わんこと暮らしている方なら、わかってもらえると思います。

最後の旅行になった、御宿小笠原
前立腺がんと診断されたのは、7月でした。診断直後は、まだぷっくも元気でした。
「動けるうちに、もう一度旅行に連れて行きたい」——そう思って、お盆の大混雑の時期でしたが、「今ならまだ一緒に行けるかもしれない」と、体調を見ながら予定を組んで出かけたのが、熊本・阿蘇の「御宿小笠原」でした。
今振り返ると、これがぷっくと一緒に行けた最後の旅行になりました。宿の詳しい様子は別の記事にまとめていますが、この記事では「最後の旅」としての記録にとどめておきます。あのとき、無理をしてでも連れて行って、本当によかったと思っています。
前立腺がんと診断されてからの経過
ぷっくの病気は、進行があっという間でした。簡単に、経過だけ書いておきます。
- 7月:前立腺がんと診断。犬のなかでもまれで、とくにトイプードルのような小型犬では珍しい病気だと説明を受けました。
- 10月ごろ:尿道への圧迫が強くなり、自力で排尿できなくなりました。尿道カテーテルを入れ、1日4回の導尿が必要に。同じ時期に、肺への転移も見つかりました。
- カテーテルは、固定用の水(バルーン)が原因不明で抜けてしまい、何度も入れ直しが必要でした。そのたびに病院で処置を受ける日々でした。
- 11月初旬:呼吸が苦しそうになり、自宅に酸素室を用意しました(後述)。
- 11月30日:転倒をきっかけに、呼吸と心臓が止まりました。できる限りのことをしましたが、戻ってきてはくれませんでした。
私が当時調べた範囲では、犬の前立腺がんはまれではあるものの、進行が早く、転移しやすい病気とされていました。ただし、治療方針は進行度・年齢・体力・転移の有無によって大きく変わります。この記事では治療法の解説は行いません。気になる症状がある場合や、治療方針で迷う場合は、必ずかかりつけの獣医師、必要に応じて腫瘍専門の先生にご相談ください。
手術か、保存療法か|家族として悩んだ選択
診断を受けたとき、最初に勧められたのは、骨盤の一部を切除して、病変を取り除く手術でした。
でも、すぐに決められませんでした。理由はいくつもありました。
- 私たちは福岡に住んでいますが、その手術ができる先生は、近くだと山口大学まで行かないといけませんでした。
- 前立腺がんは、トイプードルのような小型犬には特にまれで、難しい病気だと聞きました。
迷った私は、主治医の先生に、思い切って聞いてみました。「先生がもし、同じ立場だったら、どうしますか?」と。先生は、「私なら手術をする。できることは全部してあげたい」と話してくれました。
その言葉は、今でも忘れません。それでも、手術の成功率は高くないこと、成功しても余命が大きく変わるわけではないこと、全身麻酔のリスク、骨盤を切除することの合併症——いろいろなことを考えました。
さらに、福岡市内の腫瘍専門の獣医さんにも、セカンドオピニオンをお願いしました。そこでは、手術は積極的には勧められませんでした。
二人の先生に相談したうえで、私たち家族は、内服と尿道カテーテルによる「保存療法」を選びました。
今でも、これが絶対に正解だったとは言い切れません。ただ、その時点でのぷっくの状態や、体への負担を考えて、家族として納得できる選択をしたつもりです。同じように迷っている方がいたら、どうか一人で抱え込まず、かかりつけの先生、そして必要なら専門の先生にも相談してみてください。
元気だった頃にしていた、食事の工夫
ここからは、病気がわかる”前”の話です。
実は、ぷっくがまだ元気だった頃から、少しでも長く健やかに過ごしてほしいという思いで、フィッシュオイルを多く含む、魚をメインにしたフードを取り入れていました。
ただ、誤解してほしくないのですが、これで病気を防げるという意味ではありません。実際にぷっくも、食事に気をつけていても、前立腺がんになりました。だからこの記事では、特定のフードやサプリを「病気予防」としておすすめするつもりはありません。あくまで、わが家が当時考えて選んでいた食事の記録として書いておきます。
我が家でやっていたのは、こんな内容でした。
- 魚をメインにしたフードに、野菜と鶏肉を煮込んで水分を多くした手作り食を混ぜる
- 腸の調子を整えることを目的に、わんこ用の整腸剤だけは使っていた
正直、これが良かったのかどうかも、本当のところはわかりません。それでも、「元気なうちに、できることをしておきたい」という気持ちで続けていました。
食べられなくなってからの葛藤
つらかったのは、最後の1か月です。
きっかけは、薬の副作用で、胃腸炎のような状態になったことでした。それ以来、ぷっくは自分からご飯を食べなくなりました。症状が落ち着いてからも、食べることを拒むようになってしまいました。
それでも、「栄養を入れないと」という気持ちで、シリンジ(注射器のような器具)で、口に少しずつ入れていました。このとき、初めて本気で噛まれました。ぷっくからしたら、本当に嫌だったんだと思います。
いつものフードはもう難しくて、病院でもらった高カロリー食を、お湯でふやかして与えていました。
これが、ぷっくにとって良かったのか、悪かったのか。今でもわかりません。「無理にでも食べさせるべきだったのか」「本人の気持ちを尊重するべきだったのか」——きっと、同じ経験をした方なら、この問いの重さがわかると思います。答えは、今も出せていません。
※こうした介護的な食事の対応は、必ず獣医師の指示のもとで行ってください。我が家も、病院で説明を受けながら対応していました。
家でできた、生活の工夫
病気が進むなかで、家のなかでもいくつか工夫をしました。理学療法士という仕事柄、体の変化には気づきやすかったかもしれません。
体力・筋力の低下に合わせて
ぷっくは、体力も筋力も一気に落ちていきました。今まで登れていたソファに登れなくなったので、上り下りのためのステップを用意しました。段差で足腰に負担がかかりすぎないように、というのは、人の体を見てきた経験からも気になった点でした。酸素の問題もあって、散歩にはほとんど行けなくなっていました。
カテーテルの管を守るために
ぷっくは常に尿道からカテーテルが出ている状態だったので、管が引っかかったり抜けたりしないように、術後服を24時間着せて固定していました。
なお、導尿やカテーテルの管理は、必ず獣医師の指示のもとで行う必要があります。我が家でも、病院で説明を受けながら対応していました。やり方をここで詳しく解説することはしません。

24時間の酸素室という選択
11月に入り、ぷっくの呼吸が苦しそうになってきました。
獣医師に相談したうえで、民間のペット用酸素室レンタルを利用し、自宅で24時間、酸素のある環境で過ごせるようにしました。
酸素室がないと、ぷっくの呼吸は本当に苦しそうでした。酸素のある環境に入れてあげると、目に見えて呼吸が楽になり、用意して本当によかったと、今でも思っています。おそらく、最後まで命を繋いでくれたものだったと思っています。
もし自宅に酸素室を用意できなければ、入院という選択になっていたかもしれません。そうなれば、そばにいてあげられる時間はぐっと減り、最後の日々を一緒に過ごすことも難しかったと思います。家で、いつものそばで最後まで一緒に過ごせたことは、いまも私たちの救いになっています。
自宅でこういう環境を整えられる選択肢があることは、当時の私は知りませんでした。もし今、同じように悩んでいる方がいたら、こういう手段もある、ということだけ、お伝えしておきたいと思います。

お金と時間、それでも後悔はない
正直に書くと、最後の数か月は、毎週2回の通院、検査、内服で、お金もどんどん減っていきました。
そして、24時間ずっとそばにいられたわけではありません。仕事の昼休みに一時帰宅して導尿をし、仕事以外の予定はすべて削って、休みの日はできる限りそばで過ごしました。働きながら看病するというのは、思っていた以上に大変なことでした。
それでも、ぷっくのために使った時間やお金に、後悔はありません。ぷっくは「家族」だからです。家族のためにできることをした時間に、無駄なものなんて一つもありませんでした。
ぷっくが教えてくれたこと|”今”を大切にする
ぷっくとの最後の日々で、いちばん強く感じたのは、こういうことでした。
わんこも、人も、いつ病気になって、いついなくなるか、誰にもわかりません。
だからこそ、元気な”今”を、めいっぱい楽しんでおきたい。行きたい場所には、行けるうちに行く。一緒にいられる時間を、後回しにしない。診断直後、無理をしてでも御宿小笠原に行ったあの旅は、今となっては本当にかけがえのない時間でした。
今、我が家に残ってくれている相棒「のあ」とは、毎週のように出かけています。たくさん歩いて、毎日のごはんも、その子に合う形を考えながら。ぷっくが教えてくれたことを、これからの暮らしに活かしていきたいと思っています。
最後に。もし今、わんこの体調や、これからの治療で迷っている方がいたら。どうか一人で抱え込まず、かかりつけの獣医師に相談してください。そして、元気なうちに、一緒に過ごせる”今”を、大切にしてあげてください。

ぷっく兄ちゃんがいなくなって、ちょっとさみしいけど。ぼくは今日も元気だよ。ぷっくの分まで、いっぱい歩いて、いっぱいおでかけするね。
——ぷっくは今も、写真の中で笑っています。

いまはちょっと遠くにいるけど、空からみんなのこと、ちゃんと見守ってるよ。このブログの中では、ずっと一緒。

